2019年06月02日

スズメのお宿

今回の記事はバイクでもカメラでもなく、スズメの話。

近年都市部ではスズメが少なくなっているという話をよく聞くようになりましたが、たしかにぼくの幼少期にはもうちょいたくさんいたような記憶があります。
しかし我が家の近所(東京郊外、神奈川の隣)ではまだけっこう鳥や虫を数多く見ることができます。
ベランダにはたま〜にスズメやハトがやってきまして、過去にはハトが巣を作ったこともありましたが、これがけっこう臭い。
そのハトはしばらくするといなくなっていたので(ヒナが巣立ったのかは不明)巣を撤去して、それ以来ハトの巣作りはご遠慮お願いしてました。

去年の7月、ベランダでスズメの声が何度もするので、カメラで撮影しようとベランダを覗くと1羽のスズメがいたのでパチリ↓
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パソコンで拡大してみると、なんかくわえている(赤矢印部分)。
どうやらベランダに巣を作っている様子でした。
巣の場所はこの時はよくわからなかったんですが、後々調べてみると写真の黄色矢印部分の奥まったところに見事な巣ができていました。
ちなみにこの時のカメラは広角レンズ(パナソニックGM1+14mmパンケーキ。写真はトリミングしたもの)だったのでアップでは撮れていません。

その年の3月にポンジュウロー(桜文鳥。享年12)が大往生を遂げたばかりだったこともあり、鳥好きのぼくはスズメの巣作りを見守ることにしました。
巣作りしにきたスズメはこの2羽(前述の写真の約1ヶ月後)↓
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手前の個体が虫らしきエサをくわえているところを見ると、この時すでにヒナが誕生していたのかもしれませんが当時は気が付きませんでした。
カメラのレンズは35mm換算で90〜300mmの望遠ズームに変更したので、アップで撮影できるようになりました(多少トリミングもしています)。

10月になり、ふと「そういやポンちゃん(ポンジュウロー)のエサがまだ残ってたな」と思い出し、スズメに出してみました↓
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スズメ達は周囲を警戒しながらも「ヤッホ〜ゥ」という感じで貪り食っていました。
この写真は撮影してるぼくの方を見た瞬間。
ぼくが見えてるはずですが、何度もこっちをチラチラ見ながらエサを食べ続けていました。
他の写真とよく比較してみると、この個体は巣作りしてた個体とは別のような感じもします。
くちばしの根元も少し黄色いので、もしかして巣立ったばかりの若鳥かな?と思ったんですが、夏に巣立って1ヶ月くらいでこんなに立派な姿になるもんかね?という疑問も無きにしもあらず。

数日後にはすっかりエサを食い尽くしていたので、もう一回出してみました↓
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考えてみると水飲み場も、雨が降った後でないとそれほど多くないように思えたので、水も出しています(背後の皿が水入れ。出して数日経っているのでほとんど無くなっている)。
この個体は前出の写真の個体と同じような若鳥っぽいですが、羽の生え換わりなのか首周りがイガイガしています。

それから数日後にまたエサを補給してやったら以前よりたくさんのスズメがやってきました↓
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おぉ4羽もいるよ…と思ったら↓
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あれ?もっといるぞ?となり、数えてみたら6羽も来てました。
よく見たらくちばしの根元が黄色いのは1羽だけではなかったようです。
しかしほとんど見分けがつかないので、どれが巣作りしてたやつなのかイマイチわからない(笑)。

寒い冬になり、年が明けましたがスズメは完全にベランダに住み着いたようでした。
そして春になったある日、ベランダでハトがホ〜ホ〜言ってるのが聞こえ「やばい、巣作りされる」と危機感を抱いて見に行くと「私、なにも悪いことしてませんがなにか?」みたいなすっとぼけた顔してハトがヒョコヒョコベランダの欄干を歩いていたので撮影↓
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ハトはつがいで2羽来訪していたのですが「恨みはないが、君たちの巣は臭過ぎるので帰ってくれたまえ」と追い払いました。
この後何度かこの2羽がベランダに巣作りしようとチャレンジしに来ました(ベランダの中に入って内見しに来る)が、その度に追い返したので最近は来なくなりました。

住み着いているスズメはぼくがベランダに出ると、巣のある場所の最寄りの欄干の下の隙間から慌てて脱出して近くに避難します↓
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そんなに怖がらなくても大丈夫なんだけどなぁ〜。

ブレ&はみ出しですがめちゃくちゃ可愛い瞬間↓
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飛び立って羽ばたく前の瞬間でしょうか。
鳥は卵から生まれますが、その多くは卵と同じようなシルエットのままなのが笑えます。

ベランダでよく見る3羽↓
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恐らく2羽は巣作りしたつがいだと思われますが、もう1羽は巣立ったヒナではなさそう(立派な成鳥3羽にしか見えない)。
いちいちこっちを警戒しなくても何もしないっつーの(笑)。
こうやって仲良く3羽で食べていることもありますが、ケンカする時もあるようです↓
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遠巻きに見ていたスズメにいきなり飛びかかって追い払うスズメ。
まぁ見分けがつかないので、もしかしたら追い返されたのは仲間ではなく部外者だったのかもしれません。
恐らくこの部外者スズメと同じ個体だと思われますが、時々こぼれたエサを探してるところを、ここに住むスズメに怒られたり追っかけられてる個体も度々見受けられますが、スズメって縄張り意識強いんでしょうか?
半年前に6羽が一緒に食べていた時はまだ縄張りが確定してなかったのかな?
しかし本人(鳥)達は真剣なんだろうけど、人間から見ると姿や声が可愛いすぎるので怒ってても怖くない(笑)。
飼っていた歴代文鳥達も、人間の手を別個体と認識して求愛したり威嚇したりしてましたが、本人(鳥)は思い切り噛みついてるつもりなんだろうけど、全然痛くないというのがまた可愛かった(首筋やお腹を突かれたり、小さい面積をつまむように噛んでひねりを加えられるとチク〜ッ!と痛いけど、やはり全然平気なレベル)。

雨が降ってもエサ探しに行ってるようですが、ベランダでじっと外を眺めている姿もよく見かけます(この写真は曇りの日)↓
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この丸い頭と卵型ボディのシルエットがまたたまらない可愛さを発揮しています。

早朝にやたら欄干の上を走り回っていたので撮影したらこんな可愛い姿が撮れました↓
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スズメや文鳥などのくちばしが尖った小鳥の多くは両足でピョンピョン跳ねて移動するのが一般的ですが、時々ハトやインコのように両足を交互に動かして歩く動作で移動することもあります。
この写真の時は歩行方式で「テケテケテケ」と、やたら移動速度が速くて笑えました。

最近になって、巣から小さな鳴き声が頻繁に聞こえるようになって、ヒナがいることがわかりました。
ただ、巣は上から見ると草や鳥の羽などが集積しているのが確認できるんですが、トンネル状に作っているためかヒナの姿は見えません。
無事巣立って、この巣が代々受け継がれていったら面白いんだけどなぁ〜。
エサをくわえているスズメ↓
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文鳥はくちばし上部や目の周りの輪のボリューム感でオス・メスの判別がある程度できますが、スズメはどうもよくわからない。

団地周辺には鳥の他に虫も数多く存在しますが、先日ウチの号棟の階段にザ・テントウムシとも言えるナナホシテントウが2匹同じ場所にいたのを目撃。
その時はカメラを持ってなかったので撮影しませんでしたが、2〜3日後だったかに階段を降りていくと同じ場所に1匹まだいたので撮影↓
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もう1匹は見当たりませんでした。

本記事のスズメやこのテントウムシなどの虫たち、それから妙に滞空時間の長いシャボン玉が家や周辺に現れると、ぼくは亡き両親や飼っていた鳥たちが帰ってきたような、なんとも言えぬ郷愁のようなものを感じます。
郷愁といえば先日プレイステーション系のゲーム「ぼくのなつやすみ」シリーズを無性にやりたくなったんですが、仕事を早急に進めないとヤバイ状況になってきたのでゲーム脳は無期限封印しました(笑)。
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posted by 文鳥 at 01:30| 東京 ☀| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月15日

突然の別れ

昨日、我が家で飼っていたブンチョウのポンジュウロー(ポンちゃん)が突然亡くなりました。享年12。
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↑昨夏の水浴び直後の姿(まわりにあるのはお気に入りのおもちゃの友達)

その日の昼までは元気に座布団の上やぼくの手の中で遊んでいたのに、夕方に小屋を見たら巣の中で眠るように亡くなっていました。
手に取るとまだ完全には冷え切っておらず、身体も脱力しきったクタクタな様子から、ほんのついさっき亡くなったような感じでした。
文鳥の平均寿命が7年ということを考えれば相当なお爺ちゃんだったわけですが、さっきまで求愛の歌をさえずるくらい元気だったので老衰ではなく、恐らく食べ物を喉に詰まらせてしまったのではないかと思われます。

思えば以前飼っていたルリコシボタンインコのミカン(1995〜2007)やセキセイインコのチロ(2009〜2015)は、病死や事故死(チロちゃんも食べ物を喉に詰まらせて死去)ではあるものの、亡くなる瞬間はぼくの手の中で看取ることができたんですが、歴代ブンチョウ(通算8羽)はどれもぼくの知らないうちに旅立っているのが残念(2代目ポンちゃんのポンスケは、ぼくが東北ツーリングに行ってる最中に亡くなり、ちょうどそのあたりの時刻にぼくは彼の幻を見た、なんてこともありました)。

ポンジュウローは2005年に母と姉が、当時すでに認知症だった父の遊び相手になればと買ってきた桜文鳥でした。
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↑まだウチに来たばっかりの頃
でもやはり父よりもぼくの方が毎日のように遊んでいたため、歴代ブンチョウ同様ポンジュウローもぼくのことを親だと思い込むくらいの懐き具合になりました。
ちょくちょく餌やりをしていた母にもあまり懐かず、ある時母が無理やりポンちゃんを掴んで「可愛いわねー」とほおずりしたら思い切り唇噛まれて「んむ!も〜毎日エサあげてたのに!ポンちゃんは〜!」なんて怒ってた、なんてこともありました(笑)。
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↑1歳半くらいの勇姿。頭黒々。
成鳥になるとぼくの手を相手に求愛の歌&ダンスを披露したかと思いきや、指を敵に見立てて威嚇&攻撃したり(全然痛くない)手に乗ってサーフィンしたり、手を巣の代わりみたいにして座り込んでホカホカに暖かくなってウトウトしたり、元気に遊ぶようになりました。
食卓に焼き魚が出てくると目の色変えて飛んできて、骨や皮を長いこと味わいます↓
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よほど魚が大好きなのか、よだれ垂らしたりします。食材の上に乗るなんてお行儀の悪いことも魚以外ではしません(年取ったらほとんど食べなくなりました)。
デコイの鳥等のおもちゃを与えると、最初は怖がって威嚇しているのですが、次第に慣れていって最終的には大切な友達のような存在になっていたようで、おもちゃと一緒に小屋から出すとずっとその近くにいました。
この遊びパターンや行動は多少の変化も見せながら(新しい遊び方が発生したりする)亡くなる直前まで続きました。

ある程度年を取っていくと、いつの間にか極度のビビリになっていて、小屋の中や定番の遊び場以外の場所に連れて行ったり、掃除機やあまり聞き慣れない大きな連続音(野菜ジュースのパックをガボガボ振る音も)に対してものすごい怖がるようになって、酷い時は「キュ〜キュ〜」と普段出さない声を出して真っ直ぐな姿勢でカチカチに細く固まって気絶するという、正直笑ってしまう(最初見た時はどうしようかと思ったけど)くらいの可愛さを発揮してました。

年老いてからは飛び回ることも少なくなり、小屋から出すとすぐぼくの手の上か服の中に潜り込んでくつろぐことが多くなり、手で軽く握って全身をモミモミしたり、口をポンちゃんの後頭部や背中にくっつけて「ププププ」と小鳥の心拍と同程度のリズムで吹いてやると暖かそうに、気持ちよさそうにウトウトする、というのが最近のトレンドでした。
あと、ぼくが部屋を出るとすぐ巣の中から飛び出してきて「ピピピッ」とか大きな鳴き声で小屋の入り口のドアに脚をかけて「遊んでー」という感じで騒ぐのも最近の定番でした(この写真は亡くなる3日前のもの。生前最後の写真)↓
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でも亡くなった時はぼくが部屋から出てきても反応が無かったので、すぐ異変に気がつきました。
チュウチュウと呼びかけても反応がなく、思わず人間語で「ポンちゃん!?」と何度も声をかけてしまいました。

ここ10年の内に両親も鳥たちもいなくなり、それまで感じることのなかった「寂しさ」というものが少しわかった気がします。
でもこれで長期間家を空けることもできるようになったので、長旅にも出られる自由も手に入りました。

ポンちゃん、長い間遊んでくれてありがとう、さようなら。
posted by 文鳥 at 10:35| 東京 ☀| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月08日

旅立ちの日

昨年9月から入院生活となっていた父が本日早朝、息を引き取りました。
享年87。

昭和4年に鳥取県で産声を上げた後、物心つく前に遠縁の親戚の家の養子となり、立派なお父さんとお母さん(ぼくから見て祖父母)そして幼い妹や弟と共に当時は日本領だった朝鮮半島の釜山で太平洋戦争の真っ只中をくぐり抜け、様々な困難を乗り越えて日本へ引き揚げてきた後、間もなくお父さん(祖父)が亡くなってしまい、18歳の若さで一家の大黒柱とならざるを得なかった父は、戦後の闇市で米軍から払い下げたお菓子を売ったり、米軍のジープの整備なんかの仕事をしてうちに、化粧品会社の社長さんに拾われてその後の人生の大半をその会社に捧げることになります(この社長夫妻からは息子のように可愛がられたらしい)。
その後母と出会い、結婚、出産、マイホーム(今ぼくが住んでるレトロ団地)購入、と、当時の日本の高度経済成長をモロに支えてきた世代の典型のような人生を謳歌してきた人でありました。

息子であるぼくとは違い、父は毎日の晩酌を欠かさない酒飲みであると同時に、非常に真面目な仕事人間でもありましたが、絵や毛筆が上手かったり、機械工作や日曜大工が得意だったり、家族である妻や娘や息子に対しても家族サービスなんかもよくこなし、いつも寛大な心で接してくれて、特に遊び人間(笑)であった母と、その血統を受け継いだぼくにも、好き勝手させてくれた優しい父でもありました。
しかし定年後は仕事尽くめの反動なのか、心の底から休息を求めたのか、陸に上がって日光浴をするオットセイのようになってしまい(笑)心配した母がちょいちょいドライブや散歩に連れ出してはいたものの、次第に認知症や糖尿病の影響で衰えてゆき、母が2009年に癌で他界してからは毎日のように母の行方をぼくに聞いてくるほどにボケてしまいました。
そんな母亡き後の父の介護はぼくが看ていたわけですが、最初の頃は母を亡くした悲しみと介護の疲れで心に余裕が無くなって怒鳴るように父を叱りつけたこともありました。
でも月日が経って母を亡くした悲しみも癒え、ボケた父とのやり取りの経験値が増えるにつれ、そうした腹立たしさや怒りは発生しなくなり(過去に怒鳴りつけたことを後悔したほど)介護生活後半は、なんだかとても穏やかで平和でコミカルな毎日だったようにも思えます。
その後、脳梗塞をきっかけに始まった入院生活で急速に衰えていった父は、しゃべることができなくなる少し前に、毎日見舞いに行ってたぼくが帰ろうとした時に、弱った肺活量を振り絞るように「お、お疲れ様」と精一杯大きな声をかけてくれたことが今でも強く印象に残っています。
そして声が出せなくなってから、今年の家の年賀状用として病院のベッドで寝たまま書いてもらった「あけまして おめでとう おおた けんじ」というガクガクに震えた線ではあるものの、まだまだハッキリとした意志を感じる文字。これはもう大切な形見です。
最後はもう本当に文字通り骨と皮だけのような体になって、ただただ点滴を受けて寝ているだけとなり、亡くなる2日前にぼくや姉が見舞いに来た時は、妙に今までよりも調子良さそうなケロッとした顔でぼくと姉の顔を交互に見比べるような感じで何度も見ていましたが、もしかしたら今生の別れを告げようとしていたのかもしれません。

そして今日の午前6時ちょっと前くらいに家の電話が鳴り「呼吸と心拍がかなり落ちてきているので、ご家族の方に来ていただきたいのですが…」という病院からの連絡があり、急いで車で病院へ向かいましたが、残念ながら旅立ちの瞬間を看取ることはできませんでした。
やっと病院に到着して父に会うと、よくエジプトのミイラとか氷の中から発見された古代人とかに見られる、小じんまりとしたポーズをとってはいたものの、人生を全て生ききったことが伺える、見事な往生の姿をしておりました。
母はちゃんと迎えに来てくれたかなぁ。

今にして思い返すと改めて本当に立派な父だったと思います。
最後の最後はちょっと辛かっただろうけど、ホントによくがんばりました。
今まで長い間、本当に本当にお世話になりました。
さようなら、ありがとう。

…といったわけで、またまたちょっとヘヴィーな記事となりましたが、ぼくにとっては非常に重要な出来事だったので記事にしました。
これからちょっとばかし事務的なことでバタバタした後は、100%ぼくの人生に全力を注ぐ所存でございます。
posted by 文鳥 at 18:14| 東京 🌁| Comment(4) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする